令和5年7月 園長のつぶやき 「最近のお母さんは、どう?」
むしむしする日々が続いています。この身の回りの湿気は、10日前までは海の水でした。
気象や海流によって地球の水は、ダイナミックに循環しているのです。
7月に入ると気温は急上昇ですが、子育ての悩みもヒートアップする事があります。
かわいい我が子も小学生ともなれば、自己主張はするし親に反抗だってします。
勉強も頭の痛い問題ですが、友だち関係、特にいじめ等も心配になるのではないでしょうか。
いじめは小学校に入ると、しばしば聞かれるようになります。よく言われるのが、いじめなのかふざけているのか、判断が難しいという事です。
しかしそれは、役割交代の有無で見分けられます。やったりやられたりの交代が有ればふざけているだけですし、無ければいじめです。
ところが近年、知らない間にSNSで悪意が拡散される、外から分かりにくいいじめが増えています。
いじめは世界中で、老若男女問わずに見られます。
人間は他の動物のように、本能だけでは生きられません。何故なら本能が壊れてしまったからです。
本能は生きるエネルギーと行動規範(生き方)から成り立っています。人間は行動規範が壊れたので、その代わりに学習能力を獲得しました。
学びによって生き方を、作ろうとしたのです。人間の学習能力は、他の動物とは比較にならない優れた点と言われますが、実は代用品なのです。
だから矛盾も多く、私たちは教えられた事だけを学ぶのではなく、教えられない事でも勝手に学んでしまいます。
それがいじめの一つの原因にもなります。
いじめは強者が、かりそめの自己満足を得る為に、弱者を自分の思い通りにする行為と言えるでしょう。
実はこの関係性はある意味、私たち人類の育ちに由来すると考えられます。
本能だけでは生きられない人間は生まれて後、長期に渡り親に養育されます。言い方を変えれば、親の保護がなければ生きられないのです。
つまり親は子どもに対し、圧倒的に強い立場にいます。だから子どもは親を、否応なしに受け入れるしかありません。
これは、いじめと同じ関係性ではないでしょうか。ここから子どもは、弱者は強者に従うものだと体験的に学んでしまうのです。
これが、人間におけるいじめの起源だと考えられます。
ところが、いじめる子もいればいじめない子もいます。その理由にも親子関係が考えられます。
いじめる子は成長過程で、いじめを強く感じる状態があったと思われます。例えば子育てする中で、我が子を親の望む型にはめ込み、それは子どもの為とすり替えているような場合です。子どもはそんな親から逃避したいのですが、それは出来ません。何故なら、子どもは弱者だからです。そして時にはその反動や隠蔽のため、さらに弱者をいじめるのです。しかしそれは単なる一時しのぎであり、根本は何も解決していません。だから繰り返すのです。
その悪循環を断つのは簡単ではありません。あるとすれば強者としての親が、自分の立場を自覚的、意識的にとらえる事でしょう。
その為には、時々子どもに尋ねてみて下さい。
「最近のお母さんはどう?」と・・・
早川 友教
気象や海流によって地球の水は、ダイナミックに循環しているのです。
7月に入ると気温は急上昇ですが、子育ての悩みもヒートアップする事があります。
かわいい我が子も小学生ともなれば、自己主張はするし親に反抗だってします。
勉強も頭の痛い問題ですが、友だち関係、特にいじめ等も心配になるのではないでしょうか。
いじめは小学校に入ると、しばしば聞かれるようになります。よく言われるのが、いじめなのかふざけているのか、判断が難しいという事です。
しかしそれは、役割交代の有無で見分けられます。やったりやられたりの交代が有ればふざけているだけですし、無ければいじめです。
ところが近年、知らない間にSNSで悪意が拡散される、外から分かりにくいいじめが増えています。
いじめは世界中で、老若男女問わずに見られます。
人間は他の動物のように、本能だけでは生きられません。何故なら本能が壊れてしまったからです。
本能は生きるエネルギーと行動規範(生き方)から成り立っています。人間は行動規範が壊れたので、その代わりに学習能力を獲得しました。
学びによって生き方を、作ろうとしたのです。人間の学習能力は、他の動物とは比較にならない優れた点と言われますが、実は代用品なのです。
だから矛盾も多く、私たちは教えられた事だけを学ぶのではなく、教えられない事でも勝手に学んでしまいます。
それがいじめの一つの原因にもなります。
いじめは強者が、かりそめの自己満足を得る為に、弱者を自分の思い通りにする行為と言えるでしょう。
実はこの関係性はある意味、私たち人類の育ちに由来すると考えられます。
本能だけでは生きられない人間は生まれて後、長期に渡り親に養育されます。言い方を変えれば、親の保護がなければ生きられないのです。
つまり親は子どもに対し、圧倒的に強い立場にいます。だから子どもは親を、否応なしに受け入れるしかありません。
これは、いじめと同じ関係性ではないでしょうか。ここから子どもは、弱者は強者に従うものだと体験的に学んでしまうのです。
これが、人間におけるいじめの起源だと考えられます。
ところが、いじめる子もいればいじめない子もいます。その理由にも親子関係が考えられます。
いじめる子は成長過程で、いじめを強く感じる状態があったと思われます。例えば子育てする中で、我が子を親の望む型にはめ込み、それは子どもの為とすり替えているような場合です。子どもはそんな親から逃避したいのですが、それは出来ません。何故なら、子どもは弱者だからです。そして時にはその反動や隠蔽のため、さらに弱者をいじめるのです。しかしそれは単なる一時しのぎであり、根本は何も解決していません。だから繰り返すのです。
その悪循環を断つのは簡単ではありません。あるとすれば強者としての親が、自分の立場を自覚的、意識的にとらえる事でしょう。
その為には、時々子どもに尋ねてみて下さい。
「最近のお母さんはどう?」と・・・
早川 友教
2023/07/04