お知らせ

育徳コミュニティーセンター 10月スケジュール
こんにちは。
育徳コミュニティーセンターです。

10月の予定をアップします。
今月は「インド・スラムの子どもたちの夢」展示会からスタートです。
アートなイベントやごちゃまぜマルシェ、ハンドメイドマーケットなどなど、たのしいことがたくさんあります。

ぜひ遊びに来てくださいね。

公式LINEやInstagramでこちらの活動のご案内やご報告などを行っております。
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2023/10/03
令和5年10月 園長のつぶやき 「ベビーシッターと子守り」 
『 ベビーシッターと子守り 』 
 
 さて10月になり、ようやく秋を感じられるようになりました。しかしこんな気候が続けば、紅葉は見られなくなるとも言われます。子どもたちに秋を残していきたいものです。 
 
 前回日本には様々な子育論はあるが、その多くは欧米からの輸入なので、それ故日本には合わない事もあるという話をしました。そこで何故そうなのかを、日本と欧米の文化の違いから考えてみたいと思います。 
近年日本でも、ベビーシッターという言葉を聞くようになりました。日本語に訳すなら「子守り」でしょうが、ベビーシッターと子守りでは、その実態は大きく違います。子守りには、親がどうしても子どもを見られない場合の親代わり、というように少し後ろめたさも感じられます。が、欧米のベビーシッターには、親がパーティーに行く時(夜に多い)の学生バイトでもあり、後ろめたさなどみじんもありません。又、日本では両親の間に子をはさみ川の字で寝たりしますが、欧米では基本子どもは一人で寝ます。何やら欧米の方が、子どもをしっかりしつけているように思え、日本も見習うべきだと感じるかもしれません。ところが一見大きな違いはありますが、実はその本質は全く変わりません。両者の行動の土台が異なるのです。つまりその土台(行動規範)を、何に求めているかが違うのです。 
欧米社会は、キリスト教という一神教による社会です。絶対的存在である神を支えとする社会であり文化です。神の教えこそが行動規範です。ところが日本には、欧米のような、唯一無二の神は存在していません。八百万(やおよろず)の神と言われるように、神様はそこかしこにいます。そこで人同士が直接支え合う、人間関係を行動規範とする社会と文化を作り上げました。だから両親を支えとする子どもを置いては出かけないし、一人では寝かせないのです。どちらの社会が優れているかという問題ではなく、それぞれがそのような社会だという事です。神を支えとする欧米では、親はベビーシッターを頼んでパーティーに出かけるし、子どもは一人で寝かせます。不安なら神に頼りなさいなのです。一方日本では人に頼るのです。現在欧米世界において、犯罪や反社会的行動等が増大しているのは、社会の基盤である神への信仰が、薄れているからかとも言われます。絶対神のいない日本の治安が保たれているのは、人間関係社会がまだそれなりに機能しているからなのでしょう。とは言え、日本の安全な社会を継続させるのは、今後の我々の大きな課題でもあります。 
 
時々子どもを甘やかせてはいけない、と言われる事がありますが、それも欧米の考え方です(甘やかせ過ぎは問題ですが)。要は甘えの対象が違うだけなのです。欧米は神に甘え、日本は人に甘えるのです。甘えが大切なのは、信頼関係を生むからです。欧米の信頼関係は、同じ神を信じるから信頼し合い、日本では人同士が直接的に繋がり信頼を育むのです。いずれにせよそれぞれの子育てを理解しようとするなら、お互いの社会の仕組み(価値観)は違うという事を、まずは知るべきではないでしょうか。   早川 友教
2023/10/02
令和5年9月 園長のつぶやき 「付け焼き刃」 
 夏になると地球温暖化が大きな話題となります。しかし、それにしても今年の暑さは酷い!!エアコンなしの生活は考えられません。温暖化の原因は様々ですが、二酸化炭素の排出(その7割が先進国のもの)が、一番の原因と言われます。ところがそれは、まさにエアコンに代表されるような、便利で近代的な生活との引き換えです。便利さには各種のエネルギー(電気、ガス、石油等)が必要ですが、そのエネルギーを作り出すのに、又膨大な二酸化炭素が排出されるのです。

 ところで温暖化と子育てには、共通点があるように思います。つまりより良い状態を求め一生懸命努力すればするほど、自分たちが苦しくなる事です。温暖化は分かるが子育てが何故?と思った方は多いかもしれません。今では父親も積極的に、子育てをするのも当たり前の時代となりました(昭和に比べれば)。又シングルで子育てに励んでいる方も大勢います。いずれにしても保護者の皆さんは、我が子の幸せを願い一生懸命に子育てをしています。ところが反対にそんな努力が、親子間に亀裂を生じさせる時もあるのです。

私が育った昭和30年代の子育ては、どこでも似たり寄ったりでした。生活水準も大して変わらず(今から見れば、皆貧しかった)、伝統的価値観もまだ共有されていました。父親は仕事、母親は家庭とはっきりした役割分担があり、3世代が同居、子どもも多く、プライバシーなんてありません。現在の少子化の親子関係とは、大きな隔たりがありました。一方家の外には、今ではなくなってしまった、子どもだけの世界が広がっていたのです。
ところが、物が豊かになるにつれ価値観は多様化し、両親が仕事もすれば家事もする、さらに核家族化、少子化の現在です。それらが相まって、子育ては迷走を始めました。特に母の悩み(育児は、どうしても母親の比重が重い)は、大きくなりました。昭和の頃なら隣と同じ様にやるか、自分の親と同じ子育てをしていれば、大きな問題はありませんでした。ところが今では(極論ですが)、人それぞれに価値観があり、誰もが自分流の子育てをしています。親は悩みながら自分で考え、SNSや育児書等を参考にして我が子を育てています。ただそれではどうしても、実感がともわない理屈の子育てになりがちです。さらには情報量の多さが、より親を惑わせます。だからあふれかえる情報の中で、ある理論が子どもは健やかに育つと言えば、それに頼りたくなるのは人情です。しかし、これが落とし穴になります。何故なら育児理論の多くは、欧米から導入されました。その理論はキリスト教を背景とする、一神教文化の思想です。ところが日本は、神ではなく人間関係によって成立する社会です。そもそも社会を成立させている文化が、根本的に違うのです。親子関係にしても、似て非なるものと言えるのです。だからどうしても海外の理論は「付け焼き刃」になります。すると問題になるのが、子育てに一貫性が欠ける事です。親は良かれと思い、欧米流の子育てに取り組みますが、どうしても理論と実際が合わない事も増えてきます。それも何の不思議はありません。日本で育った親が欧米の理論で子育てをしても、考えている事とやっている事がぶれてくるのは当然でしょう。その結果子どもは混乱し、親子間に亀裂が生じるのです。

子を想う親の気持ちは、何ものにも代え難いと思います。その実現に様々な子育てを参考にするのは、決して悪いことではありません。しかしそれなりに一貫性のある子育てには、人間関係に根ざす日本の伝統的な子育てが、良いように思うのです。     早川 友教
 
2023/09/08
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